1 月 24 2025
セミナーの原点
毎年、嬉しいお年賀状をいただきます。
在籍している生徒達の心のこもっている年賀状だけでなく、
懐かしい思い出となっている人達からも届き
その当時が思い出されほっこりしています。
2003年までガンステッドを師匠に変わり東京で5年間クラスを受け持ちました。
弟子入りした時、僕は「最低5年間は師匠の下で丁稚奉公をする」と心に決め
師匠の治療室に勤めました。
でも、その約束を全うせず数年後にパーマー大を目指し留学をしてしまい
そんな思いもあり、パーマー大在学中より
「D.C.になり帰国後は必ず師匠の下で果たせなかった丁稚奉公を5年間する!」と
心に決めていました。
1998年4月からガンステッドを師匠に代わりスクールで教え
そして5年が経ち独立し、
次は僕の名前で勝負をしたかったので師匠に無理を言い2003年より
「中濱スクール」を始動しました。
今回はその当時の話になります。
「中濱スクール」となって僕が一番したかったことは、
僕がガンステッドを習得するまでとてつもなく遠回りをしてしまった反省から
「僕一人で目の届く人数だけを確実にガンステッドで食べられる治療家に育てたい!」
このことをコンセプトにスタートしました。
元々カイロプラクティックを人に教える気など全くありませんでしたが、
1997年9月に帰国してくると、
師匠から人に教えることによって自分が勉強するから
9年間の留学で得たカイロプラクティックをここで教えて勉強しなさい!と、
言われたのがきっかけとなりました。
だから今も僕はセミナー屋と言う認識は全くありません。
僕のカイロプラクティックの根本的な考えは
「僕から学びたい方、僕から治療を受けたい方」だけを受け入れ、
「誰でも良い...」、その様な方は僕の受け入れ対象者ではありません。
カイロプラクティックを志した時よりこの様に考えていました。
(勿論、現在はより厳格になっています)
今回は開校後、数年経ってからイントロダクションセミナーに
静岡県からやって来た彼の話をさせていただきます。
当時、僕には全く知名度もなく、
おまけにセミナー依頼があっても大きな会場ではセミナーをしない。
そしてまた、誰でもではなく限定的な方だけしか治療をしない。
本来帰国後のD.C.達であればその考えとは真逆で
有名になり手っ取り早く稼ごうとするのが当時も今も一般的な考えですが、
僕には全くそんな考えも無く、
カイロプラクティックを志した22歳より
日々食べて行ける少数の患者さんで良い!と考えていました。
その代わり「自分がやりたい」そして「やりきった」と納得と実感を伴う
カイロプラクティック人生を目指していました。
医師で例えると
最先端の大学病院の医師ではなく、みんなから頼られる離島の医師の様に!
カッコええちじゃないですか。憧れます!
内容は全然違いますが、
22歳時とは気持ちは全く変わらず62歳になった今も初志を貫いています。
そんな高飛車な考えの僕が教えるイントロダクションセミナーです。
参加者はベーシッククラスに入校するかどうか迷って来ます。
僕の技術も知識も凄く疑っている者もいます。
そしたら他所へ行けよ!です、僕の態度は!!
そんな空気感のセミナーを彼は5時間の間ただ黙って
疑うような目で僕を見て?いや観察していました。
すでにその時点で僕には5年間師匠に代わり
毎月ガンステッドセミナーを行って来たという実績や経験があったので、
僕に付いて来れるなら教えてやる!
まさにそんな態度でイントロダクションを行っていました。
そしてセミナー終了後に彼は厳しい目で僕に質問を投げかけて来ました。
「自分はこれぐらいの角度しか手首を動かせないけれど
この手首でカイロプラクティックは出来ますか?」と。
僕はセミナー中の彼の疑った態度を思い出し即座に
「やる気があったら出来るんとちゃう?!」とだけ返答。
だって僕は観光ビザで英語は書けても話しが出来ない状態で留学した強者です。
たから、本人がカイロプラクターに成りたいのであれば不可能なんてない!
すべてのことは本人次第。
少しでも動く手首があるのなら、
本人の強い意志とそれを真摯に受け止められる力のある指導者がいれば
技術の世界には出来ないことなんてありません。
それに常に僕のスタンスは
僕から進んで助け舟を出す様なことは一切しません!
しかし、本人から僕に
助けてくれ~とメッセージが届けば、僕は全力で助けます。
恩着せがましい出しゃばりや、自分に酔いしれるええカッコしいは
僕は大嫌いなんです!
彼の心にどの様な形で届いたのか分かりませんが
その後彼は僕のところで学ぶこととなりました。
ベーシッククラスが始まり
彼と話をするうちに
僕に出会う前のカイロプラクティックのことを話してくれました。
東京のカイロプラクティック学校に数校通っていた経験があるらしく
入学前はどこもが大丈夫です。な~んて優しく接してくれたそうですが、
最後はどこもかしこもまともに指導してくれず無駄遣いに終わったそうです。
そんな嫌なことをされたら人間不信になりますよね!
それにもう彼は、「カイロプラクティックを習うのはこれを最後に!!」と、
その思いで京都まで来た!
すると面白いD.C.が目の前に現れた。
と言うことでしょう。
きっと最後のつもりで僕を選んでくれたのだと思います。
ベーシッククラスの彼はイントロダクションセミナー時とは別人で
しっかりノートを取りガンガン質問をしてくる。
まるでパーマー大時代の僕の様でした。
臨床クラスでは彼の問題点を直接指導し
一日でも長くカイロプラクティックをしてもらう様に
厳しくそして詳しく本人をモデルに鍛えました。
ちゃんと覚えろよ~。てな、具合で!
痛い手首を耐えてますよね~
彼は僕と年齢が近かったお陰で
彼の同級生や後輩達がそんな彼の振舞いを見て
中濱スクールは他校の様なお気楽な空間ではないことを理解し
授業は彼に引っ張られる形でみんな気合が入って行きました。
今考えればこの時から
体育会系のカイロプラクティックスクールに成ったのでしょう。
ここが僕のセミナーでの原点です。
僕は新患者でもイントロダクションでも初日は
「ウエルカム!ようこそいらっしゃいました!」
なんて態度は微塵も見せません!!
つまりどなたも初対面時は
僕の最強最悪な対応でお相手させてもらっています笑。
「そんな先生でも良いから助けてよ!」そう思ってくれる方のみに全力を注ぐ。
なぜなら、「身体を治す」「カイロプラクターとして食べて行く」とは、
これからとてつもない試練を乗り越えなければなりません!
お客さんの様な態度や考え方では100%挫折します。
嫌なところは見せ合い納得し克服する。
そして前へと疑わず進む!
生徒も患者も笑いながら気楽に適当なカイロプラクティックを受けて
症状が改善したり、技術をマスター出来たなら
今頃、日本中がカイロプラクターだらけになっていたでしょう。
しかし現実はどうでしょう?
客観的にそう思いませんか?
僕のところでは
知識だけでええカッコしたいなら直ぐにお帰りください!
知ったかぶりしても実技が伴わないなら直ぐにお帰りください!
やらされていると思うなら直ぐにお帰りください!
現在も彼を指導した18年前とは何一つ変わっていません。
下手したら益々磨きが掛かっているかもしれません。
これが中濱スクールの自立できるカイロプラクティック指導です。
強いて変わったことと言えば、
2003年に112kgあった体重は健康的に徐々に減らし73kgになり、
ベリーショートのパンチパーマが、知らぬ間にスキンヘッドに!
それと写真に写る2003年時の一番弟子二人も
誰にも好かれるほわ~っとした八方美人から
拘ることの大切さを理解した男になれたぐらいですかね!
と言う訳で
毎年いただく年賀状を読ませてもらうと
ハッキリとそんな光景や思い出が蘇ってきます。
そして、
「今も昔の様に必死でカイロプラクティックに携われているか?!」
今いる生徒達にもあの頃と同じ信念で純粋な気持ちで教えているか?
自問自答して毎年一年をスタートさせます。
いつもみなさんありがとう。
そして、あの彼もブログを読んでくれている様なので一言、
またそのうち顔だけ見に行くから~。
元気に頑張れよ~。
なんかあったら言えよ~。
いつまでも仲間やぞ~。
では。
P.S.
2月23日(令和天皇誕生日)例の場所で新年会を催します。
そうです!上村先生が松茸の香りだけを外国人にお裾分けしたお店です笑
店主より「先生!必ず30人までにしてください!」と、
厳しく念を押されました笑
よっていつもの様に必ず参加できる希望者のみご連絡ください!
弟子達は優先ですから
31番目の人は階段で32番目の人は玄関の外で!笑
では。